大正揺るがした白蓮事件の真相!愛と絶縁状の結末とその後

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白蓮事件の発端を理解するには、柳原白蓮こと柳原燁子のあまりに過酷な生い立ちと家系図を振り返る必要があります。燁子の実父は明治天皇の生母である柳原愛子の実兄・柳原前光伯爵であり、彼女は大正天皇の従妹にあたる超名門の血筋に生まれました。

しかし、母が側室(芸妓)であったことから幼少期より実家で冷遇され、15歳で北小路資武と最初の結婚を強いられます。そこで長男を出産するものの、夫の家庭内暴力に苦しみ20歳で離婚。実家に戻った燁子は、周囲の厳しい監視下で息を潜めるように短歌に救いを求めていました。

そんな彼女に持ち上がったのが、25歳差となる伊藤伝右衛門との再婚話でした。炭鉱経営で莫大な富を築きながらも一代の成り上がりとして名声を欲していた伝右衛門と、没落しかけていた柳原家の利害が一致した政略結婚でした。1911年(明治44年)、燁子は25歳で伝右衛門の待つ福岡の豪邸へと嫁ぎます。

福岡での生活は、金銭的には豪華絢爛そのものでした。しかし、敷地内には伝右衛門の複数の妾やその子どもたち、多くの女中が同居しており、複雑怪奇な家庭環境が広がっていました。教養と誇り高い気品を持つ燁子と、学がなく武骨な叩き上げの伝右衛門との間には埋めがたい精神的溝が存在し、彼女は九州随一の大邸宅の中で「黄金の鳥籠」に囚われたような深い孤独に苛まれ続けたのです。

石川 優花

石川 優花

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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