なぜ大阪にゴミ処理場を設計?フンデルトヴァッサーの思想と真実
なぜ大阪にゴミ処理場を設計?フンデルトヴァッサーの思想と真実についての疑問解決ガイドをご紹介します。
ゴミ処理場といえば、地域住民から敬遠されがちな「迷惑施設(NIMBY)」の筆頭格。それを街のランドマークへと転換させた発端は、オーストリア・ウィーン市に建つシュピッテラウ焼却工場でした。1987年の大火災後、当時のウィーン市長がフンデルトヴァッサーへ再建デザインを依頼。公害対策の最先端プラントとアートの融合は世界中から絶賛を浴びました。
この成功モデルに目をつけたのが、1990年代の大阪市です。当時、大阪市は2008年夏季オリンピックの招致に名乗りを上げており、メイン会場として予定されていたのが埋め立て地の舞洲でした。「オリンピック選手村や競技場の隣に最新鋭の環境配慮型ゴミ処理場を建設し、環境都市・大阪の姿を全世界に誇示する」。当時の大阪市幹部らの強い熱意により、名匠への直談判が敢行されたのです。
フンデルトヴァッサーは当初、「環境を破壊するような施設なら一切関わらない」と招聘を固辞していました。しかし、大阪市が提示した高度排ガス処理システム(ダイオキシン類を限界まで除去する触媒反応塔)や、ゴミ焼却熱を発電に回す徹底したサーマルリサイクルの技術計画書を精読し、最終的に「技術と自然と芸術の共存モデルをアジアに築く」として受諾を決断しました。
ただし、その代償は小さくありませんでした。報道各社の取材記録および大阪市公表資料によると、大阪市環境局舞洲工場の総事業費は約609億円。隣接する下水汚泥処理施設「舞洲スラッジセンター」には約800億円以上が投じられました。完成当時、地元メディアや市民団体からは「バブル崩壊後の財政難のなかで、巨額の血税を派手な外観に浪費した」と激しい批判が集中。しかし、関係者への取材や構造検証で明らかになっている通り、費用の大半を占めたのは外観の装飾費(全体の数パーセント程度)ではなく、徹底した公害防止設備と地下深くまで杭を打ち込む軟弱地盤対策工事でした。