兼好法師「花は盛りに」の真相|満開を拒む美意識とテスト頻出の急所
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高校の古文授業や大学受験の個別指導現場において、第137段を学んだ生徒から最も多く寄せられる相談は、「言っている意味はなんとなく分かるが、主語や対象が誰なのかが途中で見失われる」という点です。
大手予備校の採点現場からの証言でも、「見るものかは」を「見るものであろうか」と疑問文のまま止めてしまい、減点対象となる答案が全体の4割を超えています。疑問(反語)の助詞「か」「かは」「や」「やは」は、直前の文脈によって判定が分かれますが、第137段のように冒頭で自説を力強く打ち出す局面では、100%反語として機能します。「筆者は世間の常識に真っ向から異を唱えている」という文脈上の立ち位置を頭に叩き込んでおく必要があります。
さらに、多くの高校生を惑わせるのが「世俗の人々への皮肉」です。本文中盤に登場する「花見の群衆」について、兼好は次のように描写しています。
「田舎人は、ただ寄り立ちて、『あはれ、今年の桜は、はや散りぬるは』『月落ちぬるは』など言ひて、木の下に寄り立ち、ひしめき合ひて、まことに情けなく見ゆ」
ここでの「田舎人」とは、単に地方出身者を指す言葉ではありません。事物の風情を心で味わう教養を持たず、物理的に近くへ押しかけて騒ぎ立てる「無粋な人間」全般への強烈なディス(風刺)です。SNSのタイムラインで「桜満開!」と写真を連投し、散り始めると即座に関心を失う現代の消費行動と、兼好が見つめていた鎌倉末期の花見客の姿は、驚くほど酷似しています。このシニカルな人間観察こそ、兼好法師の筆致の真骨頂です。