蛍の光の歌詞に隠された真実|消えた3番4番の意味と歴史の謎
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『蛍の光』の日本語詞を手掛けたのは、明治時代の国学者・教育者である稲垣千穎(いながき ちかい)です。文部省の音楽取調掛(現・東京藝術大学音楽学部の前身)に所属していた稲垣は、1881年に発行された日本初の公立学校向け音楽教科書『小学唱歌集 初編』のためにこの歌詞を書き下ろしました。
当時の日本は、西洋の優れた音楽教育を導入しつつも、子どもたちに道徳心と愛国心を育む教材を求めていました。稲垣は古今和歌集などの古典文学の手法を用いながら、前半では「勉学の尊さと友との友情」を、後半では「国家の発展を支える人材の旅立ち」を描き出したのです。
単なる別れの歌ではなく、全国各地へ散らばって近代日本の建設に携わる若者たちへの「壮行歌」としての性格を持っていた点に、この歌の本来の狙いがありました。