久保田一竹美術館は現在なぜ輝くか|閉館の噂の真相と奇跡の全貌

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久保田一竹美術館を訪れる前に絶対に知っておくべきは、作者・久保田一竹が歩んだ壮絶な経歴と、幻の染物・辻が花に注いだ異常なまでの執念です。

辻が花とは、室町時代から安土桃山時代にかけて隆盛を極めながら、江戸時代初期に友禅染などの台頭とともに忽然と姿を消した謎多き染色技法です。技法の詳細を記した文献がほとんど残っておらず、美術史上で「幻の染物」と呼ばれていました。1917年に東京に生まれた久保田一竹は、20歳の時、上野の東京国立博物館で室町時代の辻が花の裂(きれ=小さな布片)を目撃します。その言葉を失うほどの美しさと色香に雷鳴のような衝撃を受け、辻が花の再現に生涯を捧げることを心に誓いました。

しかし、その若き決意の前に過酷な運命が立ちはだかります。第二次世界大戦への出征、そして敗戦後のシベリア抑留です。極寒と飢餓、重労働が支配する収容所生活の中で、多くの仲間が命を落としていきました。自著や生前の回顧手記の中で、一竹は過酷な氷点下の夕暮れ時に空を染め上げた「燃えるような茜色の夕焼け」について語っています。「あの夕景の神々しい色彩を、いつか辻が花で布の上に写し取ってみせる」――この強烈な美への執着こそが、死の淵に立つ一竹の命を繋ぎ止めました。

復員後、生活費を稼ぐための糊口をしのぎながら、気が遠くなるような研究と実験が始まります。室町時代の技法を単に模倣するのではなく、現代の布地、現代の染料、そして絞り染めと手描き友禅、金彩を組み合わせた、独自の重厚な染色技法「一竹辻が花」の確立でした。最初の個展を開催し、世界を驚かせたのは実に60歳の時。構想から40年もの歳月が流れていました。

美術館の本館に広がる連作着物『光響(こうきょう)』は、富士山や変わりゆく四季、悠久の宇宙を複数の着物が一体となってパノラマのように表現する壮大なシンフォニーです。一着一着に数万回ともいわれる気の遠くなるような針入れと絞り、染め重ねが施されており、鑑賞者は単なる衣服を超えた「魂の結晶」と対峙することになります。

山田 真由

山田 真由

自動車・モビリティライター

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。

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