阿部定事件の真相と動機|昭和史を揺るがした愛憎劇の結末
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1936年12月21日、東京地方裁判所にて下された阿部定 判決は、求刑懲役10年に対し「懲役6年」という極めて寛大なものでした。裁判長は、定が重度の精神的錯乱・心神耗弱状態にあったことを認め、また犯行に至る経緯に同情の余地を見出しました。
服役中の定は模範囚として静かに過ごし、1940年(昭和15年)11月、紀元二千六百年を記念した恩赦により出所を果たします。しかし、阿部定 その後の人生は平穏とは程遠いものでした。彼女の出所を知った興行関係者や出版界が放っておくはずもなく、戦後は自らの名前を冠した芝居に出演したり、東京・銀座のバーで働いたりと、常に「阿部定」という記号に付きまとわれました。
1960年代後半、浅草のうなぎ屋「若竹」に勤めていたのを最後に、1970年頃から定は消息を絶ちました。阿部定 現在の消息については、高齢者施設で偽名を使って生涯を閉じたという説や、寺院で出家し尼僧として没したという説など諸説ありますが、公的な死亡記録は明らかにされていません。生きていれば120歳を超える計算となるため、すでに鬼籍に入っていることは確実視されていますが、その最期は深い霧に包まれています。