元巨人ドラ1辻内崇伸の現在と引退の真相|最速156キロの光と影

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高校野球史上に残る伝説の左腕が、なぜ読売ジャイアンツのトップチームで一度も公式戦のマウンドに立てなかったのか。その背景には、高校時代からの過密登板と、プロ入り直後から始まった過酷な故障の連鎖がありました。

2005年夏の甲子園、大阪桐蔭のエースだった辻内氏は、準々決勝の前橋育英戦で当時の左腕最速となる最速156キロを計測し、大会を通じて猛威を振るいました。1試合19奪三振を奪うなど圧倒的な投球を披露し、同年の高校生ドラフト会議では読売ジャイアンツとオリックス・バファローズが1巡目で競合。オリックスの中村勝広GM(当時)が当たりクジと勘違いしてガッツポーズをする珍事の末、巨人が交渉権を獲得し、辻内崇伸はドラフト1位でプロの門を叩きました。

しかし、甲子園での熱投の代償は想像以上に重いものでした。入団直後の春季キャンプから左肩の違和感を訴え、本来のダイナミックな腕の振りが失われていきます。さらに2007年には左肘の内側側副靭帯を断裂し、靭帯再建手術であるトミージョン手術を受ける事態に追い込まれました。

長いリハビリを経て実戦復帰を目指したものの、肘の骨棘(こつきょく)除去手術など度重なるメスが左腕の感覚を狂わせます。2012年には二軍(イースタン・リーグ)でリリーフとして好成績を収め、念願の一軍初昇格を果たしたものの、一度も登板機会が巡ってこないまま登録を抹消されました。辻内崇伸の引退理由は、本人が後に手記やインタビューで明かした通り、「腕が上がらないほど限界に達していた肩と肘の悲鳴」でした。結果として、プロ生活8年間で一軍登板なしという極めて無念な形で2013年秋に戦力外通告を受け、現役生活にピリオドを打ちました。

小林 直樹

小林 直樹

トレンドリサーチャー

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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