鹿鳴館の真実|欧化政策の光と影、舞踏会の裏に潜む条約改正の賭け

鹿鳴館の真実|欧化政策の光と影、舞踏会の裏に潜む条約改正の賭けの要点や背景を丁寧にまとめました。全体像を一目で把握できます。

Q1:鹿鳴館の場所は現在の日比谷のどこにありますか?自由に見学できますか?
A1:現在の東京都千代田区内幸町1丁目、帝国ホテルの北側に建つ「NBF日比谷ビル」の敷地内に位置しています。ビル前の植え込みに「鹿鳴館跡」と刻まれた御影石の記念プレートが設置されており、屋外の公道沿いにあるため誰でも24時間無料で見学が可能です。ただし、当時の建物自体は解体されているため内部見学等はできません。

Q2:鹿鳴館の建物の一部はどこかに現存しているのでしょうか?
A2:鹿鳴館の正門として使われていた鋳鉄製の門扉が、台東区上野公園の「東京国立博物館」敷地内に現存・移築されています(本館西側の黒門付近)。繊細なルネサンス風のアラベスク文様が施された美しい門であり、当時のコンドル建築の息吹を今に伝える極めて貴重な遺構です。

Q3:鹿鳴館の設計者ジョサイア・コンドルは、他にどんな建築を残していますか?
A3:コンドルが手がけた名建築のうち、現在も見学できる代表例として「旧岩崎邸庭園洋館」(台東区池之端)、「三菱一号館」(千代田区丸の内・復元建築)、「綱町三井倶楽部」(港区三田)、「ニコライ堂」(千代田区神田駿河台)などがあります。いずれも日本の近代建築史に輝く傑作ばかりです。

Q4:鹿鳴館時代は具体的に何年間続いたのですか?
A4:1883年(明治16年)11月の落成から、井上馨が条約改正交渉に失敗して外務大臣を辞任した1887年(明治20年)9月までの、わずか約4年間が実質的な「鹿鳴館時代」と呼ばれます。その後は華族会館として利用された後、1940年(昭和15年)に取り壊されました。

小林 直樹

小林 直樹

トレンドリサーチャー

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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