新撰組と岡田以蔵の真相|所属の噂と沖田総司との比較を検証
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幕末四大人斬りとして、田中新兵衛(薩摩藩)、河上彦斎(熊本藩)、中村半次郎(薩摩藩・後の桐野利秋)と並び称された岡田以蔵。その剣術腕前の根底にあったのが、江戸三大道場の一つと称された士学館で学んだ「鏡心明智流(きょうしんめいちりゅう)」です。
土佐藩の下層階級である足軽の長男として生まれた以蔵は、厳しい階級社会の中で極貧生活を送っていました。しかし、剣の才能だけは突出しており、同郷の武市半平太が開いた道場に通う中でその才を見出されます。安政3年(1856年)、武市に伴われて江戸へ三大道場修行に向かった以蔵は、桃井春蔵が指導する士学館に入門。ここで竹刀剣術の極意を叩き込まれ、免許皆伝に迫る腕前を身につけました。
四大人斬りの中で、以蔵の実力には際立った特徴があります。田中新兵衛や河上彦斎が強烈な政治思想・国粋主義に基づいて自発的に刃を振るったのに対し、以蔵は純粋な暗殺の実働部隊として機能していた点です。土佐勤王党の首領・武市半平太の指示に忠実に従い、本間精一郎や宇郷重国などの標的を電光石火の早業で始末しました。思想的な言葉を残すことは少なかったものの、対人戦闘における間合いの把握、踏み込みの鋭さ、初太刀の破壊力は、当代の剣客たちからも一目置かれる卓越したレベルに達していました。