マッカーサー解任の真相と昭和天皇会談|戦後日本を変えた男の生涯と評価
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順風満帆に見えたマッカーサーのキャリアに暗雲が立ち込めたのは、1950年6月に勃発した朝鮮戦争でした。国連軍総司令官に任命されたマッカーサーは、劣勢を覆す奇襲作戦「仁川(インチョン)上陸作戦」を成功させ、一躍世界的な名声を再び高めます。
しかし、中国義勇軍の本格参戦によって戦況が泥沼化すると、マッカーサーは満州への爆撃や台湾の国民党軍の投入、さらには原爆の使用を示唆するなど戦線拡大を強硬に主張するようになります。これに対し、第三次世界大戦への発展を絶対に避けたいハリー・S・トルーマン大統領との間で決定的な対立が生じました。
マッカーサーが自身の戦略を正当化する書簡を野党幹部に送り、それが公表されたことで、軍民関係の鉄則である「文民統制(シビリアン・コントロール)」を侵したと判断されます。1951年4月11日、トルーマン大統領はマッカーサーの全軍司令官職を電撃解任。ラジオ放送を通じて突然の解任を知らされたマッカーサーは、失意のうちに日本を去ることになりました。