町田ってどこ?神奈川と誤解される理由と境界線の真相を徹底解剖

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「町田はもともと神奈川県だった」という話を耳にしたことがある人も多いはずです。これは都市伝説ではなく、れっきとした史実です。明治時代の初期、町田市を含む多摩地域一帯(西多摩・南多摩・北多摩の三多摩)は、実際に神奈川県に所属していました。

では、なぜ神奈川県から東京府(現在の東京都)へと所属が変わったのか。そこには近代日本の首都機能を巡る重大な政治課題が存在していました。決定打となったのは、1893年(明治26年)に断行された「三多摩移管」です。

当時、東京市街地ではコレラなどの伝染病が猛威を振るっており、市民の命を守るための衛生的な近代水道網の整備が急務となっていました。その東京の重要な水源地であった多摩川上流域を神奈川県が管轄していたため、水利管理や水源防護を一元化したい東京府との間で軋轢が生じていたのです。

加えて、当時の神奈川県議会で自由民権運動の勢力が非常に強く、政府を悩ませていた政治的な背景も絡み合い、水源管理の名目のもと、三多摩地域は一括して東京府へと編入されました。この激動の歴史において、絹の道の中継地点として栄えていた南多摩郡の町田も一緒に東京府へ移管されることとなり、現在に至る「東京都町田市」の骨格が定まりました。

山口 彩花

山口 彩花

写真家・フォトエディター

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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