攘夷派とは何だったのか?開国派との違いや倒幕へ至る真相を徹底解説
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幕末の政治勢力を理解する上で最も重要なのは、「開国か攘夷か(対外路線)」という対立軸と、「倒幕か佐幕か(国内政治体制)」という対立軸が、時代とともに激しく入れ替わった点です。この2つの軸を整理すると、幕末のパワーバランスが鮮明に見えてきます。
勢力分類主張と国家ビジョン代表的な人物・藩歴史的評価と帰結開国派列強と国交を開き、通商貿易によって富国強兵を図る。武力衝突を回避し時間を稼ぐ。井伊直弼、勝海舟、小栗忠順、阿部正弘国際情勢を的確に見定めていたが、不平等条約の締結とインフレを招き国内の猛反発を受けた。攘夷派(初期)国法(鎖国)を守り、夷狄を打ち払う。神州日本の純潔性と独立を死守する。徳川斉昭(水戸藩)、長州藩志士、真木和泉対外的な危機意識の啓発に成功したが、軍事力格差を軽視した無謀なテロや武力衝突を招いた。倒幕派無能な幕府を倒し、朝廷を中心とする新たな中央集権近代国家を建設する。西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、岩倉具視攘夷の挫折を経て「外国に勝つための開国」を採用し、明治政府の主導権を握った。佐幕派(公武合体派含む)徳川幕府体制を維持・再編し、朝廷と幕府の協調(公武合体)によって国難を乗り切る。徳川慶喜、松平容保(会津藩)、新選組統治の正統性を保とうとしたが、旧弊な幕藩体制の限界を克服できず戊辰戦争で敗北。
決定的な対立の火種となったのが、1858年の日米修好通商条約です。大老・井伊直弼は、孝明天皇の勅許(許可)を得られないまま条約に調印しました。これに対し、強烈な攘夷論者であった孝明天皇の意向を奉じる尊皇派と、幕府独断の専横を許さない水戸藩などの大名勢力が激怒し、「違勅調印」を糾弾する尊王攘夷運動が一気に加熱したのです。