大田南畝とは何者か?エリート幕臣と狂歌王の二面性を徹底解説
大田南畝とは何者か?エリート幕臣と狂歌王の二面性を徹底解説の疑問点について、最新情報を基に徹底解説します。
文化・文政の爛熟期を生き抜いた大田南畝は、文政6年(1823年)4月6日、75歳でその波乱の生涯を閉じました。高齢まで勘定所の激務をこなしていた南畝の直接の死因は、登城の途中に大腰を強打したことによる怪我と、それに伴う急激な体調の悪化(現代でいう脳血管障害や骨折を契機とした衰弱)と伝えられています。
死の直前、床に伏した南畝が遺した辞世の句は、後世の文学者たちを唸らせるほど潔く、ユーモアに満ちたものでした。
「今までは人のことだと思ひしに 今度は我の死ぬるなりけり」
「人の死など普段は他人事だと思っていたが、いざとなれば今度は自分が死ぬ番だったのか」という、飾らない本音をさらけ出したこの句。死という絶対的な恐怖を前にしてなお、自らを一歩引いた視点から客観的に観察し、クスリと笑える狂歌に仕立て上げてみせる精神。これこそが、大田南畝という男が生涯をかけて貫き通した「狂の精神」であり、江戸っ子の真髄でした。