土光敏夫のリーダーシップとメザシの真相|再建の哲学と名言
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土光敏夫のキャリアを振り返ると、常に待ち受けていたのは「破綻寸前の巨大組織の建て直し」でした。東京高等工業学校(現・東京工業大学)機械工学科を卒業後、東京石川島造船所に入社した彼は、現場叩き上げの技術者としてキャリアをスタートさせます。1950年に石川島重工業の社長に抜擢されると、赤字事業の整理と大胆な設備投資を断行。1960年には播磨造船所との合併を主導して石川島播磨重工業(現・IHI)を誕生させ、造船日本一の礎を築きました。
その手腕を買われ、1965年には経営危機に陥っていた東芝(当時・東京芝浦電気)の社長に就任します。当時、名門意識に甘んじて派閥抗争と官僚主義にまみれていた社屋へ乗り込んだ土光が放った第一声は、今なお語り継がれています。
「社員はこれまでの3倍働け。重役は10倍働け。社長の俺はそれ以上に働く」――口先だけの訓示ではなく、自らは毎朝7時半に出社し、工場や営業拠点を精力的に巡回。重役室に閉じこもる役員たちを叱咤し、組織の意識改革を瞬く間に浸透させました。現場の声を直接拾い上げ、意思決定スピードを劇的に改善したことで、就任からわずか数年で東芝の業績をV字回復へと導いたのです。
さらに1974年には第4代経団連会長に就任。1981年には中曽根康弘首相の要請を受け、84歳にして第二次臨時行政調査会(第二次臨調)の会長という重責を引き受けました。当時、累積赤字が数十兆円規模に膨らんでいた国鉄、電電公社、専売公社の「三公社」改革を推進。「増税なき財政再建」を旗印に掲げ、官僚機構や労働組合の凄まじい反発を退け、国鉄分割民営化(JR各社への移行)の強固な布石を打ったのです。