馬の耳が動くのはなぜ?伏せる仕草の感情サインとことわざの意外な真相
馬の耳が動くのはなぜ?伏せる仕草の感情サインとことわざの意外な真相とは一体何なのか? 専門的な分析を丁寧に紐解いて紹介します。
日本人の言語生活に深く根付いているのが、ことわざの意味と語源にまつわる馬の耳の逸話です。「馬の耳に念仏」と「馬耳東風」は、いずれも「人の意見や忠告を聞き入れず、少しも心に留めないこと」の喩えとして同義で扱われますが、その成り立ちとニュアンスには明確な歴史的背景が存在します。
「馬の耳に念仏」は、ありがたい仏の教え(念仏)を馬に聞かせても、その尊さや意味が理解できるはずもなく、何の功徳も生じない様子から生まれた日本のことわざです。室町時代の狂言や江戸時代のいろはかるたにも登場するほど庶民に親しまれてきました。一方で、中国古典に由来するのが「馬耳東風」です。唐代の詩人・李白の詩『答客誚(客の誚きに答う)』の一節にある「東風の馬耳を吹くを顧みざるがごとし」から採られており、暖かな春風(東風)が馬の耳を吹き抜けても、馬は春の到来に感慨を抱くこともなく平然としている情景を描写しています。
ここで動物行動学の知見を重ね合わせると、極めて皮肉で興味深い科学的事実が浮かび上がります。人間の側から見れば「聞く耳を持たない」と解釈される馬ですが、解剖学的には人間の念仏の声も春風の風切り音も、すべて桁違いの感度で聞き取っているという点です。馬は音そのものを完全にキャッチしていながら、抽象的な言語概念を持たないために「意に介していない」ように見えるだけなのです。ことわざが生み出された時代の人々も、馬が耳をヒクヒクと動かしながらも知らんぷりをしている愛嬌ある姿を観察し、この秀逸な表現に昇華させたと考えられます。