桂三枝と紫艶の愛人報道から10年|20年の愛憎劇と急逝の全真相
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『FRIDAY』発売当日、桂文枝は大阪・なんばグランド花月内の会議室で緊急の謝罪記者会見を開きました。詰めかけた報道陣はおよそ100人。文枝は神妙な面持ちでカメラの前に立ち、深々と頭を下げました。
しかし、そこで語られた弁明は、世間の疑惑を払拭するどころか、火に油を注ぐ結果となりました。文枝は涙を浮かべながら次のように述べたのです。
「彼女は18歳の頃から知っており、私の弟子のような、あるいは娘のような存在として応援してきた。裏切られたという気持ちは毛頭ありません。ただ、男女の関係ということは絶対にございません」
文枝は金銭的な支援を行っていた事実こそ認めたものの、肉体関係については頑なに否定し続けました。しかし、すでに誌面にはホテルの部屋着姿でくつろぐ文枝の写真や、親密さを物語るプライベートショットが掲載されていました。会見を見ていたメディア関係者やネットユーザーからは、「娘のような存在とあんな写真を撮る父親がどこにいるのか」「苦しすぎる言い訳だ」と猛烈なツッコミが殺到しました。
なぜ紫艶さんは、20年間も沈黙を守ってきた関係を突如として暴露したのでしょうか。その真相について、後に紫艶さんは知人やメディアに対し、「文枝師匠の態度が急激に冷たくなり、携帯電話の番号を変えられ、完全に連絡を遮断されたからだ」と明かしています。梯子を外され、芸能界でも居場所を失った絶望と金銭的困窮が、彼女を命がけの告白へと駆り立てたというのが実態でした。