【史記・鴻門之会】項羽はなぜ劉邦を討たなかったのか?勝敗を分けた衝撃の真相

【史記・鴻門之会】項羽はなぜ劉邦を討たなかったのか?勝敗を分けた衝撃の真相に関する知りたいポイントを初心者にも親しみやすくまとめました。要点を確実におさえることができます。

インターネット上の掲示板やSNSでは、「項羽は単なる筋肉バカであり、劉邦に騙された愚将」「劉邦はただ怯えてトイレから逃げ出しただけの卑怯者」といった極端な解釈が散見されます。しかし、史料を緻密に検証すると、この俗説は事件の多面的なリアリティを見落としています。

まず、劉邦の脱出劇です。樊噲の演説によって場が緩んだ隙を見計らい、劉邦は「厠(便所)に行きたい」と口実を作って陣屋の外へ抜け出しました。ここで劉邦は「黙って立ち去るのは礼を失するのではないか」と躊躇しています。しかし樊噲は「今、大事業を成し遂げようとしている時に、小儀に拘泥している場合ではありません。敵は包丁とまな板であり、我らはその上の魚や肉です(如今人方為刀俎、我為魚肉)」と一喝し、即座の脱出を決断させました。

劉邦は主要な従者を残し、樊噲、夏侯嬰、靳彊、紀信のわずか4名のみを徒歩で従え、自らは馬に跨って山あいの間道を疾走。陣営のある覇上まで脱出しました。残された張良は、劉邦がすでに自陣へ到着した頃合いを見計らい、項羽の陣屋へ戻って「沛公はお酒に耐えられず、ご挨拶もできずに退去されました。代わりにこの白璧(はくへき)一双を将軍に、玉斗(ぎょくと:玉の杯)一双を亜父(范増)に献上いたします」と告げました。

この時の二人の反応こそが、鴻門之会 結末 その後の明暗を象徴しています。項羽は献上された白璧を素直に受け取り、上座に飾って満足しました。一方の范増は怒りを爆発させ、玉斗を地面に叩きつけて剣で粉々に砕き、こう言い放ちました。

「ああ、小僧め(項羽を指す)、共に天下を謀るに足らず! 項王の天下を奪う者は、必ずや沛公ならん。我ら一族は今に奴の捕虜となるであろう!」

范増の予言は、わずか数年後に現実のものとなります。この会談を無傷で乗り切った劉邦は、漢中へ左遷されながらも名臣・蕭何や大将軍・韓信を得て力を蓄え、楚漢戦争を通じて項羽を追い詰めていきます。そして紀元前202年、垓下の戦いで項羽は四面楚歌の中で自刃に追い込まれ、劉邦が漢王朝の初代皇帝(高祖)として君臨することになったのです。

高橋 健太

高橋 健太

ライフスタイル編集者

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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