旧皇族・竹田宮の真実|家系図と皇籍離脱の歴史から皇族復帰論まで追う
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大正から昭和前期にかけて宮格を保ち続けた竹田宮家が、なぜ突如として民間人へと身分を変えることになったのか。その竹田宮皇籍離脱理由は、第二次世界大戦の敗戦に伴うGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の強力な統制政策にあります。
1947年(昭和22年)5月に日本国憲法が施行され、皇室経済法によって皇室の財産管理が国会の統制下に置かれました。皇族費の国庫負担を極小化し、皇室の影響力を削ぎ落としたいGHQの強い要求を受け、昭和天皇の直系弟3宮家(秩父宮・高松宮・三笠宮)を除く11宮家51名の皇族が一斉に皇籍を離脱することが閣議決定されたのです。
同年10月14日、竹田宮家も第2代当主の竹田恒徳王をはじめとする一族が皇族の身分を離れ、平民「竹田」姓を名乗ることとなりました。この時、一族を襲ったのが最高税率90%に達した過酷な「財産税」です。皇室から下賜された一時金(皇族離脱一時金)の大部分は納税と借入金の返済で瞬く間に消滅しました。
その結果、東京・品川区高輪に構えていた広大な敷地と本館を手放す事態に追い込まれました。この竹田宮邸宅跡地は西武グループへと売却され、現在は「グランドプリンスホテル高輪」の敷地として活用されています。村野藤吾が内装改修を手がけ、現在もクラシカルな迎賓施設として残る「貴賓館」は、かつて宮家が華やかさと激動の歴史を刻んだ生きた証しです。