なぜ日本は戦争を選んだのか?加藤陽子の名著から紐解く決断の真相

なぜ日本は戦争を選んだのか?加藤陽子の名著から紐解く決断の真相についての最新情報をご紹介します。

多くの日本人が抱く最大の疑問は、日米開戦 なぜ回避できなかったのかという点に尽きます。1941年(昭和16年)当時の日本海軍や陸軍の首脳陣、さらには総力戦研究所の若手エリート官僚たちが行った模擬内閣演習において、「対米戦争は物資・補給の両面から継戦不能となり、確実に敗北する」という試算が事前に導き出されていました。連合艦隊司令長官・山本五十六自身も「半年や1年は暴れてみせるが、2年、3年となれば全く確信は持てない」と近衛文麿首相に漏らしていた事実は有名です。

それにもかかわらず太平洋戦争 開戦の理由が選択された背景には、国家が一度踏み込んだレールから降りられなくなる「経路依存性」と、国際環境における致命的な誤認がありました。開戦に至る歴史の真相まとめとして俯瞰すると、契機は1931年の満州事変 経緯に遡ります。関東軍による柳条湖事件の自作自演から始まった軍事占領は、国内に空前の軍需景気をもたらし、大恐慌で苦しんでいた日本経済の救世主としてもてはやされました。

日本は日露戦争と第一次世界大戦を通じて、国際秩序における「発言権を持つ大国」へと急成長を遂げました。しかし第一次世界大戦後、世界は「自国の生存圏を武力で拡張する帝国主義」から「国際連盟を中心とする集団安全保障と不戦条約」へとパラダイムシフトを起こしていました。日本はこの国際的ルール変更の速度を見誤り、1937年に勃発した日中戦争の泥沼化を解決できないまま、南部仏領インドシナ進駐へと暴走。結果として米英蘭による対日石油全面禁輸(ABCD包囲網)を招き、「座して死を待つか、打って出て活路を開くか」という極端な二者択一へと自らを追い詰めたのです。

小林 直樹

小林 直樹

トレンドリサーチャー

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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