陸軍中野学校とは?伝説のスパイ養成機関の過酷な訓練と小野田寛郎の真実
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陸軍中野学校の出身者として世界的に最も著名な人物が、フィリピンのルバング島で終戦後も約30年間にわたり任務を継続した小野田寛郎(おのだ ひろお)陸軍少尉です。小野田氏は中野学校の二俣分校でゲリラ戦・遊撃戦の過酷な教育を受けたエリート工作員でした。
1944年、太平洋戦線が崩壊に向かう中、小野田氏に下された命令は「残置諜者(ざんちちょうじゃ)」として敵の後方に潜伏し、通信傍受や飛行場破壊などの遊撃戦を行いつつ、友軍の再上陸まで持久戦を展開せよというものでした。その際、上官から下された訓令こそが「自決は一切許さない。3年でも5年でも頑張れ。必ず迎えに行く」という中野学校の絶対命題だったのです。
小野田氏は自著『わがルバング島の30年戦争』の中で、孤独な潜伏生活を支え続けたのは精神論ではなく、中野学校で培った科学的な生存技術と「生きて任務を果たせ」という誓いだったと述懐しています。1974年に元上官からの正式な任務解除命令を受けるまで、彼は中野学校の教えを忠実に守り続けました。
また、戦後大ヒットした大映映画『陸軍中野学校』(市川雷蔵主演)では、冷酷無比なスパイ像がドラマチックに描かれ話題を呼びましたが、実際の生還者たちの証言録によれば、映画のような派手なガンアクションよりも、地道な情報収集と現地住民との人間的信頼の構築こそが実態であったと語られています。