大正時代は何年間続いた?わずか15年で終わった理由と西暦早見表
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「たった15年間」という短さでありながら、大正時代が日本史において強烈な存在感を放ち続ける背景には、歴史の振れ幅の激しさがあります。この時代は、自由と民主主義が花開いた「光」と、巨大災害と全体主義への転落が始まった「影」が、凄まじい密度で圧縮されていました。
光:大正デモクラシーと大衆消費社会の萌芽
第一次世界大戦の好景気(大戦景気)を背景に、都市部にはオフィスビルが建ち並び、スーツを着たサラリーマンや洋装の「モガ(モダンガール)」「モボ(モダンボーイ)」が街を行き交いました。
政治の世界では、藩閥政治を打倒した原敬による「初の本格的政党内閣」が誕生。吉野作造の民本主義が世論を後押しし、普通選挙運動が全国的なうねりとなって1925年の普通選挙法制定(25歳以上の全男子に選挙権付与)へと結実します。言論、出版、芸術、ジェンダー平等の萌芽(平塚らいてうの青鞜社など)、ラジオ放送の開始(1925年)など、現在の日本のライフスタイルや民主主義の基礎は大正時代に一気に形作られました。
影:1923年関東大震災の発生と暗転
この華やかな大正ロマンを物理的・精神的に一撃で叩き潰したのが、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災です。
相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9の巨大地震は、首都・東京および横浜を壊滅させました。死者・行方不明者は10万5,000人超、消失・倒壊家屋は29万戸以上。東京の市街地は火の海と化し、経済的損失は当時の国家予算の数倍に達しました。
震災の打撃は経済を致命的に疲弊させ、「震災手形」の焦げ付きから1927年の金融恐慌、そして昭和初期の恐慌へと直結していきます。さらに治安維持法の制定(1925年)が象徴するように、社会不安に乗じた治安当局の統制が強化され、大正のデモクラシー精神は急速に軍国主義と全体主義の闇へと飲み込まれていきました。