辻内崇伸の現在と壮絶な軌跡|ドラフト1位の光影と女子野球指導者への転身
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プロの門を叩いた辻内を待ち受けていたのは、高校時代からの勤続疲労とプロの練習負荷によって悲鳴を上げた自身の肉体でした。入団1年目の2006年春季キャンプから左肩の違和感を訴え、実戦登板すらままならない日々が続きます。さらに翌2007年には左肘内側側副靭帯を断裂し、靭帯再建手術(いわゆるトミー・ジョン手術)に踏み切ることとなりました。
当時のスポーツ紙や密着ドキュメンタリー番組(TBS系列『バース・デイ』など)の取材に対し、辻内は「腕を振るだけで電気が走るような激痛があった」「投球練習の翌日は日常生活でドアノブを回すことすらできなかった」と生々しく吐露しています。懸命のリハビリを重ね、球速を140km/h台後半まで戻して二軍戦で好投を見せる時期もありました。2012年夏には悲願の一軍初昇格を果たし、東京ドームのベンチに入ったものの、登板機会がないまま数日で登録抹消を言い渡されます。
そして2013年秋、球団から戦力外通告を受けます。この時の心境について辻内は「これ以上投げたら本当に腕が壊れてしまうという限界を感じていた」と語っており、他球団での現役続行を模索することなく、26歳という若さでユニフォームを脱ぐ決断を下しました。プロ通算の一軍登板数は0試合。二軍公式戦通算では56試合に登板し10勝10敗、防御率3.84という記録を残し、怪童と呼ばれたサウスポーの挑戦は幕を閉じました。