京都・大雲院の謎に迫る|銅閣・信長・五右衛門の墓と特別公開
京都・大雲院の謎に迫る|銅閣・信長・五右衛門の墓と特別公開の要点を丁寧に掘り下げてご紹介します。
大雲院の創建は天正15年(1587年)、正親町天皇の勅命を受けた貞安上人(じょうあんしょうにん)によって開かれました。天正10年(1582年)の「本能寺の変」において自刃した織田信長と、二条新御所で奮戦の末に討ち死にした長男・織田信忠の霊を慰めるため、信忠の戒名「大雲院殿三品羽林長官泰仙道樹大居士」から寺号が名付けられました。
当初の寺地は二条烏丸付近にありましたが、豊臣秀吉の都市改造計画(天正の地割)によって四条寺町へと移転を余儀なくされます。その後、江戸期を通じて繁栄を極めたものの、昭和48年(1973年)、周辺の繁華街化や百貨店拡張に伴う都市開発の影響を受け、現在の東山・祇園の地(旧大倉財閥別邸跡地)へと境内全体を移転させました。
激動の日本史とともに場所を移しながらも、寺宝や信長父子の供養塔は脈々と受け継がれており、歴史のうねりを今に伝える貴重な遺構として静かに佇んでいます。