橋龍と呼ばれた男の真実|行革と消費税5%増税が遺した光と影
橋龍と呼ばれた男の真実|行革と消費税5%増税が遺した光と影を徹底追究! 知っておきたい トピックの裏側を凝縮して配信します。
橋龍内閣の評価を二分する決定打となったのが、1997年春の経済運営です。多くの国民の記憶に刻まれている「橋龍 消費税増税の経緯」は、単なる税率改定にとどまらない複合的な緊縮パッケージでした。
1997年4月、内閣は消費税率を3%から5%へ引き上げました。それだけにとどまらず、村山内閣時代から続いていた2兆円規模の特別減税を廃止し、さらに医療費の自己負担割合を1割から2割へと引き上げました。これらが一挙に重なった結果、合計約9兆円規模に及ぶ空前の国民負担増が日本経済にのしかかることになったのです。
なぜ、これほどまでに強硬な財政引き締めを強行したのでしょうか。大蔵省関係者の内部記録や当時の回顧録によると、1996年当時の日本経済は実質GDP成長率約3%を記録し、「バブル崩壊の傷口は癒え、景気は本格的な自律的回復軌道に乗った」という大蔵官僚の強気な見立てが存在していました。財政赤字の急拡大を深刻視していた橋龍は、「自分が責任を持って財政再建の道筋をつける」という強い政治的使命感から、同年11月に「財政構造改革法」を成立させ、歳出削減と増税にアクセルを踏み込みました。
しかし、歴史は残酷な暗転を見せます。増税からわずか数か月後の1997年7月、タイの通貨急落を皮切りに「アジア通貨危機」が勃発。海外需要が急速に蒸発するなか、同年11月には三洋証券、北海道拓殖銀行、そして戦後最大の破綻劇となった山一證券の経営破綻が連鎖しました。日本経済は「金融システム不安」と「緊縮財政による内需急減」の二重苦に襲われ、マイナス成長へと転落したのです。
当時の特番インタビューや自著・手記において、橋龍は苦悶の表情を浮かべながら「私は1997年から1998年にかけて財政再建を急ぎすぎ、経済を失速させてしまった。あの判断は痛恨の極みであった」と吐露しています。良心と責任感から発した財政再建の決断が、最悪のタイミングと複合要因によって裏目に出てしまった瞬間でした。