平民宰相・原敬はなぜ暗殺されたのか?東京駅凶行の真相と歴史の教訓
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1921年(大正10年)11月4日午後7時20分頃、東京駅(現在の丸の内南口乗車口)は異様な熱気に包まれていました。翌日に京都で開催される立憲政友会近畿大会へ出席するため、総理大臣兼総裁の原敬が見送りの群衆の中を改札口へと進んでいたその刹那、人混みを縫って突進してきた一人の青年が原の胸元へ右手を伸ばしました。
鈍い音とともに、刃渡り約13センチメートルの短刀が原の左胸に深く吸い込まれました。凶行に及んだのは、鉄道省山手線大塚駅の転轍手(ポイント切り替え係)を務めていた中岡艮一(当時19歳)です。同行していた元田肇鉄道大臣や警官隊が即座に取り押さえたものの、短刀は右肺から心臓の動脈を貫通しており、原はほとんど言葉を発することなくその場で絶命しました。享年65。現職の首相が暗殺されるという前代未聞の大惨事でした。
当時の裁判記録や取り調べの供述調書によると、中岡艮一は凶行の動機について以下の点を挙げています。
・普通選挙制度の導入に頑迷に反対し続けていること
・東京市疑獄やアヘン密輸事件など、政友会幹部が絡む金権腐敗が相次いだこと
・シベリア出兵の泥沼化や尼港事件による多数の邦人犠牲を招いたこと
・南満州鉄道をめぐる利権工作など、国策を党利党略に利用したこと
しかし、これらは薄給の一鉄道職員が独自に収集できる情報ではありませんでした。中岡の背後には、当時の政権批判を執拗に繰り返していた新聞報道の扇動や、右翼団体の玄洋社系幹部である橋本徹馬らとの接触がありました。「奸臣を討ち、国家を革新する」という過激なテロリズム思想に感化された若者の短絡的な義憤が、近代日本で最も実務能力に長けていた政治指導者の命を絶つ引き金となったのです。