十六八重表菊は使用禁止?一般人の罰則や違法性の真相を徹底解剖
十六八重表菊は使用禁止?一般人の罰則や違法性の真相を徹底解剖について押さえておきたい ポイントを分かりやすく解説いたします。
菊花が皇室のシンボルとして定着した発端は、平安時代末期から鎌倉時代初期の第82代・後鳥羽上皇の個人的な愛好に遡ります。上皇は菊の花をことのほか好み、自らの衣服、刀剣の茎(なかご)、日用品の調度に至るまで菊花の文様を好んで刻印させました。これが後続の天皇へ継承され、皇統の慣習的なシンボルへと昇華していったのです。
中世から近世にかけては、菊花紋は決して天皇だけの独占物ではありませんでした。功績のあった武将への下賜(足利尊氏や豊臣秀吉らへの使用許可)が行われたほか、庶民の間でも仏具、和菓子、提灯、着物の柄、さらには家紋(菊紋・裏菊紋など)として広く愛用されていました。
この状況を一変させたのが、明治維新による近代中央集権国家の建設です。新政府は天皇の絶対的権威を可視化するため、1871年の太政官布告第285号により、皇族以外の者が菊花紋章を使用することを全面的に禁止しました。地方の神社や旧武家、寺院、商業看板に至るまで、街中に溢れていた菊の意匠は徹底的に回収・削剥され、菊花は「国家権力の不可侵の頂点」として厳格に囲い込まれたのです。