姉川の戦いの真相|信長を救った逆転劇の決定的要因とは?

姉川の戦いの真相|信長を救った逆転劇の決定的要因とは?の基礎知識と応用に迫る! わかりやすい言葉で紐解きます。

姉川の戦いを理解するうえで外せない前提が、直前に起きた金ヶ崎の退き口の経緯です。1570年4月、織田信長は将軍・足利義昭の威光を背に、上洛要請を拒み続ける越前の朝倉義景を討伐すべく進軍しました。快進撃を続ける織田軍でしたが、突如として背後から激震が走ります。信長の妹・お市の方を娶り、強固な同盟関係を結んでいたはずの北近江の領主・浅井長政が盟約を破棄し、朝倉方に呼応して挙兵したのです。

挟撃の危機を察知した信長は、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)や池田勝正、徳川家康らに殿(しんがり)を任せ、命からがら京都へと脱出しました。この屈辱と脅威を放置できない信長は、軍勢を立て直してわずか2カ月後の6月、浅井の拠点である小谷城の支城・横山城を包囲。浅井・朝倉連合軍を引きずり出す作戦に打って出ました。救援のために出陣した浅井長政・朝倉景健の軍勢と、迎え撃つ織田・徳川連合軍が対峙した場所こそ、小谷城の南を流れる「姉川」の河原でした。

受験や歴史の学習で頻出する姉川の戦いの年号の覚え方としては、「以後縄(1570)張る姉川の戦い」や「行こう群衆(1570)姉川へ」という語呂合わせが定着しています。この年号が示す元亀元年は、戦国日本の勢力図が大きく塗り替えられる転換点となりました。

木村 陽翔

木村 陽翔

テックライター兼ウェブディレクター

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。

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