なぜ大分にサンリオが?ハーモニーランド誕生の真相と誘致の歴史
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サンリオが屋外型テーマパークの舞台として大分県日出町を選んだ背景には、時代背景と行政のリーダーシップ、そして企業理念が奇跡的に重なり合った3つの決定的な理由が存在します。
1つ目の理由は、「リゾート法(総合保養地域整備法)」の施行です。1987年に制定されたこの法律は、民活(民間活力の活用)によって地方に大規模な保養地やレジャー施設を開発し、地域経済を活性化させることを目的としていました。大分県は全国に先駆けて「豊の国くびれリゾート構想」を策定し、1988年に国の第1号指定を受けました。これにより、開発に関わる税制優遇や公的融資などの手厚いバックアップ体制が整ったのです。
2つ目の理由は、当時の大分県知事・平松守彦氏による強力な誘致活動です。「一村一品運動」などを通じて地方創生の旗手として国内外で名を馳せた平松知事は、大分県の観光産業を飛躍させる起爆剤として、サンリオのテーマパーク誘致に全力を注ぎました。平松知事自らがサンリオ本社へ足を運び、トップセールスを仕掛けた熱意が、プロジェクトの大きな推進力となりました。
3つ目の理由は、サンリオ創業者・辻信太郎氏の「自然共生型パーク」構想です。辻氏は、東京・多摩に計画していた屋内型のピューロランドとは別に、「子どもたちが青空の下、緑豊かな自然の中でキャラクターと触れ合える屋外パークを作りたい」という強い想いを抱いていました。日出町の広大な丘陵地は、別府湾を望む絶好のロケーションであり、自然と調和する理想郷(ハーモニー)を体現する場所として白羽の矢が立ったのです。こうして1991年4月26日、総事業費約300億円を投じたハーモニーランドがグランドオープンを迎えました。