縄文海進地図でわかる東京・関東の水没真相と現代の地盤・防災リスク
縄文海進地図でわかる東京・関東の水没真相と現代の地盤・防災リスクの主要なニュースを専門的かつ分かりやすくまとめました。全体像を一目で把握できます。
縄文海進の影響は関東地方だけにとどまりません。日本各地の平野部において、現在の都市機能の中枢がかつて水面下にありました。
1. 東京都心:日比谷入江と武蔵野台地のせめぎ合い
東京の地形を語る上で欠かせないのが「日比谷入江」です。現在の皇居の足元にあたる日比谷から丸の内、新橋周辺は、当時は奥東京湾から深く切れ込んだ入り江でした。徳川家康が江戸に入った1590年代以降、神田山(現在の駿河台)を削った土砂で大規模な埋め立てが行われましたが、地質学的なベースは海成堆積物です。一方で、武蔵野台地上に位置する新宿、渋谷の高台、文京区の山の手エリアは水没を免れ、古くから強固な地盤を保ち続けています。
2. 埼玉県:川越・春日部まで広がった「奥東京湾の最奥部」
「海なし県」として知られる埼玉県ですが、縄文海進の最盛期には県東部および南部の大半が海でした。現在の荒川低地に沿って志木市、富士見市、川越市周辺まで海が進入し、東側の中川低地沿いでは越谷市、春日部市、さらには加須市や栃木県境付近にまで内海が広がっていました。埼玉県内に貝塚が多数存在する理由は、まさにこの内海の豊かな干潟環境に縄文人が暮らしていたからです。
3. 大阪平野:上町台地を「半島」に変えた「河内湾」
関西地方における縄文海進の代表例が大阪平野です。当時、現在の大坂城から住吉大社へと南北に伸びる「上町台地」は、海に突き出た細長い半島のような地形をしていました。その東側には広大な「河内湾」が広がり、現在の東大阪市、八尾市、大東市一帯は完全に海中にありました。その後、淀川や大和川が運ぶ土砂と海退現象によって「河内潟」「河内湖」へと変化し、時間をかけて陸地化していった歴史があります。