名曲「憧れのハワイ航路」誕生秘話と戦後昭和史の真相
名曲「憧れのハワイ航路」誕生秘話と戦後昭和史の真相の全体像を丁寧に掘り下げてご紹介します。
ネット上の言説やSNSの書き込みを見ていると、「『憧れのハワイ航路』が出た当時、一般庶民も頑張って貯金すれば客船でハワイへ行けた」と誤解している声が散見されます。しかし、歴史的事実を検証すると、これは明らかな誤認です。
日本における海外渡航自由化が実現したのは1964(昭和39)年4月1日のことです。それまでの日本人は、業務出張や留学、親族訪問など極めて厳格な審査を通過した者しかパスポートを発行してもらえず、外貨の持ち出しも厳しく制限(自由化当初で1回あたり500米ドルまで)されていました。
戦前の横浜港からは「浅間丸」や「龍田丸」といった日本郵船の豪華客船がホノルル経由でサンフランシスコを結んでいましたが、大戦によって日本の優秀船舶の多くは沈没しました。1950年代初頭に運航を再開した「プレジデント・クリーブランド号」や「プレジデント・ウィルソン号」といったアメリカン・プレジデント・ラインの客船に乗ることができたのは、GHQ関係者やごく一部の政財界人、特権階級に限られていたのが当時の冷徹な現実です。