三島由紀夫の妻・平岡瑤子の真実|衝撃の自決から著作権裁判、子供の現在

三島由紀夫の妻・平岡瑤子の真実|衝撃の自決から著作権裁判、子供の現在に関する最新の話題を丁寧に解説いたします。

二人の馴れ初めは、1958(昭和33)年春に行われたお見合いでした。三島作品の舞台化などを手がけていた劇団関係者や、三島の母・倭文重(しずえ)らの仲介により、銀座の老舗喫茶店で初めて顔を合わせました。

当時、三島由紀夫は33歳で既に押しも押されもせぬ流行作家であり、世界旅行を終えて私生活を安定させたいと切望していました。対する瑤子は21歳。知的な落ち着きと可憐さを併せ持った瑤子に三島は深く魅了され、出逢いからわずか数か月の電撃的なスピードで話が進み、同年6月1日に東京・元赤坂の明治記念館で盛大な結婚披露宴が執り行われました。

世間や一部のゴシップ報道では、三島の特異な性的指向や美学を取り沙汰し、「偽装結婚だったのではないか」「仮面夫婦だったのでは」という憶測が今なおネット上で散見されます。しかし、遺された書簡や知人たちの証言が物語る実態はまったく異なります。

大田区南馬込に新築された白亜の洋館(三島邸)において、三島は夜間に2階の書斎で創作活動に没頭し、1階の居住空間では家族との団欒を極めて大切にしていました。三島は妻のセンスを頼りにインテリアを選び、海外旅行の際には瑤子を伴って社交界に出席するなど、生涯を通じて妻を深く尊重していました。夫婦喧嘩をすることはあっても、それは極めて一般的な家庭の風景であり、作家・三島由紀夫にとって家庭と妻・瑤子の存在は、精神の均衡を保つための不可欠な「絶対的防波堤」だったのです。

山本 拓海

山本 拓海

ヘルス&ウェルネスアドバイザー

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest