渡辺錠太郎と二・二六事件の真相|娘が語る最期の瞬間となぜ狙われたのか
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渡辺錠太郎が命を狙われた背景には、当時陸軍内部で泥沼化していた「皇道派」と「統制派」の派閥抗争、そして国家観をめぐる思想的対立が存在していました。
発端は1935年7月、皇道派の領袖であった真崎甚三郎教育総監が、統制派の中心人物である永田鉄山軍務局長や林銑十郎陸相によって事実上更迭された事件です。真崎の後任として白羽の矢が立ったのが、中立的で高潔な人格者と評されていた渡辺錠太郎でした。
しかし、皇道派の青年将校たちはこの人事を「統制派による不正な追い落とし」と激しく敵視し、後任を引き受けた渡辺に対して「奸賊」「国賊」という一方的な憎悪を募らせていきました。
さらに決定打となったのが、当時吹き荒れていた「国体明徴運動」における渡辺の姿勢です。美濃部達吉の天皇機関説が激しくバッシングされる中、渡辺は師団長会議の席上で「機関説のような学説を頭ごなしに否定・排撃するのではなく、学問的な真意を冷静に見極めるべきだ」という趣旨の発言を行いました。これが「国体を冒涜する危険思想の持ち主」と曲解され、決起将校たちの襲撃リストにその名が刻まれることとなったのです。