新選組最強・永倉新八の真実!沖田・斎藤との実力差と小樽での晩年

新選組最強・永倉新八の真実!沖田・斎藤との実力差と小樽での晩年の注目されている理由をコンパクトにまとめました。最新トレンドを一目で把握できます。

戊辰戦争の終結後、永倉新八は旧幕府軍の敗北を受け止め、かつて江戸下屋敷で生まれた松平家の縁を頼って北海道へと渡ります。妻の実家である杉村家を継ぎ、名を杉村義衛(すぎむら よしえ)と改めました。

明治15年(1882年)からは、凶悪犯や政治犯が多く収監されていた北海道の「樺戸集治監(かばとしゅうじかん)」にて、典獄・月形潔の懇請を受け撃剣師範に就任。看守たちに真剣勝負の厳しさを徹底的に叩き込みました。のちには東北帝国大学農科大学(現・北海道大学)の剣道部でも指導を行い、血気盛んな学生たちを老齢の身でありながら竹刀一本で手玉に取ったという逸話が数多く残されています。

晩年を過ごした小樽での生活は、豪快そのものでした。当時の小樽はニシン漁と石炭輸送で沸く活気あふれる港町であり、荒くれ者も多い土地柄でした。70歳を過ぎた永倉が小樽の映画館(活動写真館)に通っていた際、地元のヤクザやチンピラ集団が映画館で狼藉を働いていたところ、老いた永倉が一喝し、素手とステッキで一瞬にして叩きのめしたという伝説は、現代のファンにも広く語り継がれています。

野田サトル氏の大ヒット漫画『ゴールデンカムイ』に登場する永倉新八は、この小樽時代の老境にありながら恐るべき剣威を振るう「現役の化け物」として描かれていますが、実際の史料に見る彼の晩年も、創作に引けを取らない凄まじい気迫と若々しさを保ち続けていました。

清水 千尋

清水 千尋

フード&トラベルライター

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest