宮沢りえ『サンタフェ』はなぜ生まれたか?18歳決断の真相と光子の影

宮沢りえ『サンタフェ』はなぜ生まれたか?18歳決断の真相と光子の影とは一体何なのか? 主要なファクトを整理してお届けします。

発売直前の1991年秋に行われた宮沢りえ サンタフェ 記者会見は、詰めかけた数百名の報道陣によって異様な熱気に包まれていました。フラッシュの嵐の中、篠山紀信氏の隣に座った宮沢りえは、動じることなく凛とした表情で「恥ずかしいという気持ちよりも、美しいものを残せた誇りがある」と気丈に受け答えをこなしました。しかし、この会見こそが、彼女を取り巻く過酷な狂乱の幕開けに過ぎませんでした。

翌1992年11月、大相撲の若き至宝・貴花田(後の第65代横綱・貴乃花)との電撃婚約が発表され、列島は「世紀のビッグカップル誕生」に沸き立ちます。ところが、そのわずか2ヶ月後の1993年1月、事態は一転して破局を迎えます。

現在語られる貴乃花 婚約破棄の経緯の真相にも、母・光子さんの介入が決定的な影を落としていました。相撲部屋の「おかみさん」として娘が梨園・角界の伝統に縛られ、芸能活動を実質的に引退することを光子さんは断固として拒絶しました。角界の後援者や関係者との激しい軋轢の末、最終的に貴乃花側から「もう愛情がなくなった」という非情な言葉で幕を引かざるを得なかったと報じられています。

愛する人との引き裂かれ、ワイドショーによる私生活の過激な追跡、そして激痩せと自殺未遂報道。18歳で『サンタフェ』によって頂点を極めた少女は、わずか数年の間に人間としての尊厳すら脅かされる壮絶な転落と休業の苦難を味わうことになったのです。

山口 彩花

山口 彩花

写真家・フォトエディター

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest