冠位十二階の色の序列と紫の謎を解く|順番や覚え方まで徹底解説
冠位十二階の色の序列と紫の謎を解く|順番や覚え方まで徹底解説の注目ポイントを分かりやすくまとめてご紹介します。
『日本書紀』推古天皇11年(603年)12月5日の条には、冠位十二階の制定について次のように記されています。
「十二月 壬申朔丙子、始めて冠位を行ふ。大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智、並に十二階。皆当色の絁(あしぎぬ)を以て之を縫ふ。頂は撮(ひる)みて髻の形ならしめ、余は覆ひて髪を結ぶ。また各々其の冠の色の綾を用て縁取らしむ。元の日に当たりては、髻花(うず)を挿す」
この記述から分かる通り、官吏たちが頭に載せていた冠は金属や硬質プラスチックのようなものではなく、「絹の綾織物」を縫い合わせて作られた柔らかい帽子のような形状でした。頭頂部は巾着のように絞り、後頭部の髷(まげ)を包み込むような構造になっており、元旦などの特別な朝廷儀礼の日には「髻花(うず)」と呼ばれる金銀の花飾りを挿して格式を示していたことが記されています。
現代の歴史展示や再現実験においても、この色彩の視覚効果は大きな注目を集めています。奈良文化財研究所や各地の博物館で行われた古代染織の復原プロジェクト担当者は、専門誌の取材に対して「古代の紫根染めによる濃紫は、現代の化学染料では出せない独特の深みと光沢があり、薄暗い飛鳥の宮殿内でも圧倒的な存在感を放っていたはずだ」と証言しています。
また、SNSや歴史愛好家のコミュニティでは、「冠だけでなく服の色も同じだったのか?」という点が長年議論されてきました。最新の古代服飾史の研究によると、当初は冠の色のみが厳密に規定され、衣服の色(袍の色)まで完全に統一されたのは後の「冠位十九階」や律令制における「衣服令(えぶくりょう)」以降であったという見解が有力視されています。とはいえ、冠位を授かった官人たちは自らの格を示すため、冠の色に調和した染め衣を好んで身につけていたと推測されています。