昭和レースクイーン熱狂の裏側!過激衣装の真相と歴代美女の現在
昭和レースクイーン熱狂の裏側!過激衣装の真相と歴代美女の現在を徹底追究! 読者が気になる 情報と解説を凝縮して配信します。
昭和から平成初頭にかけて最も劇的な変化を遂げたのが、そのユニフォームでした。昭和レースクイーン衣装の歴史を時系列で辿ると、日本の好景気と広告予算の肥大化に比例して布地面積が削ぎ落とされていった過程が如実に浮かび上がります。
1970年代の主流は、膝上丈のミニスカートやスタイリッシュなサロペット(つなぎ)であり、あくまでレーシングチームの一員としてのスポーティさを前面に押し出していました。しかし1980年代半ば、バブル経済の足音が近づくにつれて、スポンサー企業間のアイキャッチ競争は臨界点に達します。そこで登場したのが、レースクイーンハイレグ水着の経緯を語る上で外せないワンピース型の水着コスチュームでした。
とりわけ夏の一大イベントであった鈴鹿8耐レースクイーン昔の熱狂ぶりは凄まじいものがありました。真夏の炎天下、アスファルトの照り返しが50度を超える灼熱のグリッド上で、彼女たちはウエストラインを遥かに越える深い切れ込みが入ったハイレグ水着を着用。東レや旭化成などの大手繊維メーカーによる水着キャンペーンガール文化とモータースポーツが融合し、メディア露出を最大化させるための過激化が一気に加速したのです。
当時撮影された昭和キャンペーンガール画像やアーカイブ映像を検証すると、傘を差す手にはスポンサーのタバコ銘柄やドリンク缶が握られ、カメラ小僧と呼ばれる熱心なアマチュアカメラマンたちが何重もの人垣を作っていた光景が確認できます。上品な企業イメージを保つことよりも、新聞や雑誌の白黒グラビアに1行でも多く社名を載せること——その商業的要請が、過激な衣装デザインを後押しした最大の要因でした。