関行男の真実と最後の言葉|神風特攻隊敷島隊隊長が遺した本音と遺族の現在
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神風特別攻撃隊「敷島隊」は、零式艦上戦闘機5機(爆装)と直掩機4機で構成され、1944年10月21日以降連日出撃を重ねるも、天候不良や敵艦未発見のために関は冷静に機を引き返させました。生還するたびに基地内で浴びせられる無言の重圧に耐えながら、関は確実に敵を捕捉する機会を待ち続けました。
そして1944年10月25日午前7時25分、敷島隊はマバラカット基地を第4回目の出撃として飛び立ちます。午前10時すぎ、フィリピン・サマール島沖で米第77任務部隊の護衛空母群を発見。関機と見られる機体は、猛烈な対空砲火をかいくぐりながら米護衛空母「セント・ロー(USS St. Lo, CVE-63)」の飛行甲板中央部に突入しました。
搭載されていた250キロ爆弾が格納庫内で誘爆を引き起こし、セント・ローは炎上、突入から約30分後に大爆発を起こして沈没しました。敷島隊の隊員(中野磐雄一飛曹、谷暢夫一飛曹、永峰肇飛長、大黒繁男上飛兵)とともに、関行男は23年の生涯を閉じました。戦後、大本営は関を二階級特進の海軍中佐として公表し、「特攻第1号の軍神」として大々的に宣伝したのです。