「クリスマスキャロルの頃には」二人の切ない結末の真相と稲垣潤一の現在
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『クリスマスキャロルの頃には』がリリースされた1992年当時、日本のポップシーンはバブル崩壊直後の過渡期にありました。前年の1991年には小田和正の『Oh! Yeah! / あなたに会えれば』やCHAGE and ASKAの『SAY YES』がダブルミリオンを記録し、J-POPのシングルセールスが未曾有の爆発を見せていた時代です。そんな中、1982年のデビュー曲『雨のリグレット』や大ヒット曲『ドラマティック・レイン』以降、メガヒットのプレッシャーと戦っていた稲垣潤一にとって、本作はまさに10年ぶりの特大ヒットにして自己最大のセールスを叩き出した転換点でした。
ヒットを牽引した最大の要因は、作詞を手掛けた秋元康の大胆なコンセプト設計にあります。当時、松任谷由実の『恋人がサンタクロース』や山下達郎の『クリスマス・イブ』に代表されるように、世のクリスマスソングは「当日の奇跡」や「華やかな恋人たちの夜」を描くのが王道でした。しかし、秋元康が提示したのは、クリスマスまでまだ2ヶ月近くある10月下旬というタイミングに、「あえて距離を置く恋人たち」の姿でした。
秋元康は当時の制作インタビューにおいて、「誰もが浮かれるクリスマスの華やかさを描くのではなく、その日を迎えるまでの切なさや迷いこそが、人間のリアルな感情を浮き彫りにする」という趣旨の制作秘話を明かしています。まだ誰も手をつけていなかった「クリスマス前の冷却期間」という逆張りのテーマを設定したことで、冬の訪れとともに聴き手の胸を締め付ける、唯一無二のリアリティを獲得したのです。
さらに、この詞世界に命を吹き込んだのが、作曲を担当した三井誠です。三井誠による楽曲は、マイナー調の切ないAメロ・Bメロから、サビに向けて一気にドラマティックな高揚感を見せる構成が秀逸であり、哀愁を帯びたコード進行が都会的な孤独感を巧みに演出しています。そこに稲垣潤一のトレードマークである、少しハスキーで透明感あふれるハイトーンボイスが重なることで、ウェットになりすぎない洗練された大人のAORナンバーとして完成しました。