長宗我部元親はなぜ四国覇者に?「姫若子」の変貌と子孫の現在を徹底解説
長宗我部元親はなぜ四国覇者に?「姫若子」の変貌と子孫の現在を徹底解説とは一体何なのか? 詳しい意味を整理してお届けします。
長宗我部元親の前半生は、決して華々しいエリート武将のスタートではありませんでした。幼少期の元親は色が白く、物静かで軟弱な性格に見えたことから、周囲から「姫若子(ひめわこ)」と嘲笑されていました。武将としての将来を不安視されるなか、初陣を迎えたのは当時としては極めて遅い22歳(1560年の長浜の戦い)のことでした。
しかし、槍の突き方や陣立ての手ほどきを受けた元親は、戦場に出るや否や自ら先頭に立って敵兵を突き伏せる獅子奮迅の活躍を見せます。その勇猛果敢な豹変ぶりに家臣一同は驚愕し、侮蔑の言葉は瞬く間に「鬼若子(おにわこ)」という畏怖の称賛へと変わりました。
この戦いを機に才能を開花させた元親は、織田信長からもその飛び抜けた才覚を認められ、「土佐の出来人(できびと)」と称されます。「出来人」とは一芸に秀でた傑出者を意味する言葉であり、土佐の片田舎から瞬く間に台頭してきた元親に対する中央政権からの高い評価と警戒心が入り混じった呼称でした。元親は誇り高き「七つ片喰(ななつかたばみ)」の家紋を掲げ、土佐統一から四国全土の掌握へと怒涛の進撃を開始します。