藤圭子『京都から博多まで』の切ない真相|阿久悠が描いた旅情と魂の声
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本作の誕生には、昭和の音楽界を牽引したふたりの巨匠による運命的な交差がありました。1971年12月25日に先行発売されたスタジオアルバム『知らない町で』に収録された後、年が明けた1972年1月25日にシングル盤としてリリース。当時20歳だった藤圭子にとって、新境地を切り拓く重要なプロジェクトでした。
最大のトピックは、阿久悠が藤圭子のシングル表題曲の作詞を初めて手掛けた点にあります。それまで石坂まさをが手掛けた土着的な夜の世界観から脱却し、現代的な叙事詩を彼女に歌わせるという挑戦でした。阿久悠は後年の手記や回顧録において、藤圭子という不世出の歌い手が持つ「声の切迫感」を最大限に引き出すため、あえてドラマチックな筋立てと具体的な地名を用いたロードムービーの手法を採用したと述懐しています。
一方の作曲は、初期の金字塔『女のブルース』以来約2年ぶりの登板となった猪俣公章です。猪俣が紡ぎ出したメロディは、哀愁を帯びながらも過剰な泣きに逃げず、池田孝による研ぎ澄まされたストリングス編曲と相まって、乾いた風が吹き抜けるような美しさを構築しました。1993年6月10日に猪俣が逝去した際、報道各社がその功績を讃える中で本作が代表作のひとつとして挙げられたことからも、音楽関係者の間でいかに高く評価されていたかが分かります。