徳川家康は何をした人?260年続く江戸の平和を築いた真の功績
徳川家康は何をした人?260年続く江戸の平和を築いた真の功績の背景について、専門知識を詳しくお届けします。
多くの武将が権威の象徴である京都や大坂を目指したなか、なぜ家康は関東の僻地と嘲笑されていた江戸に本拠を置いたのでしょうか。江戸幕府を開いた理由は、西国の既得権益や朝廷・寺社のしがらみから物理的に距離を置き、広大な関東平野の農業生産力と水運インフラをゼロベースで掌握するためでした。
当時、利根川の下流は湿地帯であり、度重なる水害に悩まされていました。家康は「利根川東遷事業」をはじめとする大規模な治水工事に着手し、暴れ川を制御して広大な耕作地へと生まれ変わらせました。都市基盤の整備によって莫大な石高を確保し、江戸は18世紀には人口100万人を超える世界屈指の大都市へと変貌を遂げたのです。
さらに、江戸時代が260年続いた理由の根幹には、各大名を巧みに縛り上げた法制度があります。元和元年(1615年)に制定された武家諸法度は、大名が無許可で城を修復することや、幕府の許可なく婚姻を結ぶことを厳禁としました。違反者には容赦ない改易(領地没収)を科し、各大名の軍事力拡大を法的に抑え込んだのです。
地理的な大名配置も計算し尽くされていました。江戸周辺や東海道の要衝には親族である「親藩」や忠誠心の高い「譜代大名」を配置し、関ヶ原で敵対した「外様大名」は東北や九州などの遠隔地に追いやりました。反乱を起こそうにも周囲を幕府派に囲まれ、物資輸送も封じられるため、軍事クーデターを物理的に起こせない地政学的レイアウトを完成させたのです。