平安貴族の食卓は病の温床?白米偏重と塩分過多が招いた不健康の真相
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平安時代の貴族の食事メニューといえば、色鮮やかな料理が何段にも積み上げられた豪華絢爛な膳を想起するかもしれません。しかし、現存する延喜式や当時の宮廷記録を紐解くと、日常の食卓は現代人の想像を絶するほど偏った内容でした。
まず大きな特徴となるのが一日二食の理由と生活リズムです。当時の貴族社会では、朝の公務を終えた午前10時前後に摂る「大朝餉(おおあさげ)」と、夕方16時前後に摂る「後朝餉(のちのあさげ)」の2回が正式な食事時間でした。日中は政務や儀式に追われ、照明技術が未発達だった時代背景から日没後は速やかに活動を終える必要があったためです。この長い空腹時間とドカ食いのサイクルが、血糖値の急激な乱高下を招く土壌となっていました。
さらに、貴族たちの格式を示す大饗料理と儀式料理の献立には、現代の料理のような「温かくて美味しい料理」という概念が希薄でした。大饗料理(だいきょうりょうり)は神仏や身分制度への敬意を示す儀礼的なディスプレイとしての側面が強く、調理から配膳までに数時間を要するため、貴族の前に運ばれる頃には完全に冷め切って乾燥していました。
料理そのものに調理段階で出汁や醤油の味を染み込ませる技法はなく、調味料の種類と味付けの実態は、膳の上に置かれた「四種器(ししゅき)」と呼ばれる小皿(塩・酢・酒・醤[ひしお])に、干からびた食材を自ら浸して食べるスタイルでした。味が薄く冷えた保存食を無理に喉へ通すため、貴族たちは大量の塩や醤を直接つけて食すことになり、結果として日常的な食塩摂取量が跳ね上がる構造が出来上がっていたのです。