岩倉使節団は何をした?目的と条約改正失敗の真相を徹底解説
岩倉使節団は何をした?目的と条約改正失敗の真相を徹底解説とはどのようなものなのか? 背景や要点を簡潔に解説します。
使節団に同行した久米邦武が記した全100巻に及ぶ公式報告書『特命全権大使 米欧回覧実記』には、当時のリーダーたちが受けた生々しい衝撃と心理的葛藤が詳細に記録されています。
欧米の大都市に足を踏み入れた使節団が目にしたのは、立ち並ぶ工場の煙突から吐き出される黒煙、張り巡らされた電信網、そして縦横無尽に疾走する蒸気機関車でした。大久保利通はイギリスのマンチェスターやバーミンガムの工業地帯を目の当たりにし、手記のなかで「日本の現状と欧米の発展には数百年の開きがある。このままでは到底立ち向かえない」と深い焦燥感を吐露しています。特に大久保は、これまで「武士の気概」で欧米に対抗できると考えていた自らの認識を根底から打ち砕かれ、深い精神的衝撃を受けたと記録されています。
しかし、久米邦武の観察眼は単なる驚嘆にとどまりませんでした。彼は『米欧回覧実記』のなかで、次のような極めて鋭利な洞察を残しています。
「欧州の富強は、ここ数十年の蒸気機関と産業革命によって築かれたものであり、決して数千年前からの歴史的産物ではない。今から急速に学び追いつけば、日本も決して追随できないわけではない」
さらにドイツ滞在時、首相ビスマルクとの会食の席で語られた演説は、使節団幹部の国家観を決定づけました。ビスマルクは「国際法や条約は自国に有利なときは守られるが、国益が衝突すれば結局は軍事力(国力)の強弱で決まる」と冷厳なリアリズムを説いたのです。この言葉は、国際法を信じて条約改正に挑み跳ね返された岩倉や大久保にとって、何よりの真実として胸に突き刺さりました。