「ねぶた」と「ねぷた」の違いとは?青森・弘前の歴史と見どころ完全比較
「ねぶた」と「ねぷた」の違いとは?青森・弘前の歴史と見どころ完全比較についての真相をご紹介します。
青森と弘前で呼び名や祭りの様相が分かれた根底には、「言葉の音韻変化」と「都市が歩んできた歴史的背景」という2つの明確な理由が存在します。
祭りの起源は、日本全国の農村部に古くから伝わる民間習俗「眠り流し(ねぶりながし)」にあります。夏の厳しい農作業中に襲いかかる耐え難い睡魔(病魔や厄災の象徴)を祓い清め、秋の豊作を祈願して川や海へ流した灯籠流しが原形です。この「ねぶり」という言葉が、津軽地方の方言特有の訛りによって変化していきました。
言語学的な観点から見ると、津軽弁における唇音の鼻音化や濁音化の度合いにより、青森市を中心とする地域では濁音の「ねぶた」、弘前市を中心とする内陸部では半濁音の「ねぷた」として定着しました。五所川原市では「たちねぷた(立佞武多)」と発音されるように、地域ごとの方言の響きがそのまま祭りの固有名詞として今日まで息づいています。
さらに大きな分岐点となったのが、「街の成り立ちと気質の違い」です。
本州と北海道を結ぶ海上交通の要所として発展した港町・青森は、外から訪れる商人や船乗りを受け入れる開放的でエネルギッシュな気風を持ちます。そのため、誰もが瞬時に熱狂できるダイナミックな「人形ねぶた」と、躍動感あふれる乱舞が発展しました。
一方で、津軽藩十万石の政庁が置かれた城下町・弘前は、格式と規律を重んじる武家文化が根底にあります。武士の出陣を思わせる厳粛な「扇ねぷた」の行進、勇壮な表面の武者絵と哀愁漂う裏面の美人画(見送り絵)のコントラストは、静と動を併せ持つ武家社会の美意識そのものです。