日本のフィクサーの正体とは?歴代黒幕と現代の影の実力者を徹底解明
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昭和の三代フィクサーがどのような経緯で権力を掌握し、いかなる政界工作を繰り広げたのか。当時の手記や公式の調査資料から、その克明な記録を辿ります。
児玉誉士夫の経歴と影響力|ロッキード事件の裏側で動いた巨額マネー
児玉誉士夫の権力の源泉は、戦時中に中国大陸で海軍航空本部のために戦略物資を調達した「児玉機関」にあります。ダイヤモンド、タングステン、プラチナなどの希少物資を回収した児玉は、終戦時に莫大な資産を日本本土へ持ち帰ることに成功しました。GHQによってA級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに収監されたものの、釈放後は米情報機関(CIA)とのパイプを太くし、反共産主義運動の急先鋒として頭角を現します。
自民党の初代総裁選における鳩山一郎の支援、1960年の安保闘争時における「治安対策部隊」の編成など、表の警察力では対応できない騒乱を裏から抑え込む役割を担いました。しかし、その権勢に終止符を打ったのが1976年のロッキード事件です。米上院外交委員会多国籍企業小委員会(チャーチ委員会)の公聴会で、米航空機大手ロッキード社が全日空へのトライスター機売り込みのため、児玉を通じて日本の政財界に約21億円の賄賂をばら撒いていた事実が白日の下に晒されました。
当時の特番インタビューや関係者の証言録によると、児玉邸には政財界の重鎮が夜な夜な陳情に訪れ、児玉の「一筆」があれば銀行の融資枠が数十億円単位で開いたとされます。児玉は脱税や外国為替管理法違反などで起訴されたものの、裁判の結審を待たずに1984年、病に倒れこの世を去りました。
笹川良一と政界の繋がり|公認ギャンブルが生んだ不可侵の資金力
笹川良一は自らを「世界で一番金持ちのボランティア」と称し、日曜日には「一日一善」のテレビCMで全国のお茶の間に親しまれました。しかしその裏の顔は、モーターボート競走法を成立させ、競艇の巨大な収益を差配する絶対的実力者でした。
巣鴨プリズンで児玉誉士夫や岸信介(元首相)と寝食を共にした笹川は、戦後の復興資金需要に目を付けます。1951年に競艇法を成立させると、その莫大な収益金を管理する日本船舶振興会(現・日本財団)のトップに君臨。政界に対しては、見返りを求めない巨額の献金や選挙支援を行い、保守政界の重鎮たちに対して逆らえない「恩義」を積み上げました。資金力による圧倒的な影響力を背景に、法制度そのものを味方につけた点で、児玉とは異なる息の長い支配力を誇りました。
瀬島龍三の現在と真相|大本営参謀から中曽根ブレーン「臨調」への歩み
「昭和の参謀」と呼ばれた瀬島龍三は、前述の2人とは毛色が全く異なります。旧日本陸軍の幼年学校、士官学校、陸軍大学校をすべて首席級で卒業し、大本営参謀として作戦指導に従事。終戦後はシベリアに11年間抑留されるという苛酷な経験を経て、伊藤忠商事に入社しました。
瀬島は軍隊仕込みの精密な情報収集能力と組織構築力を発揮し、航空機商戦や自動車メーカー再編を成功させ、同社を総合商社トップへと押し上げます。そして1980年代、中曽根康弘首相の指南役として第二次臨時行政調査会(臨調)の顧問に就任。国鉄民営化、電電公社民営化、専売公社民営化という「戦後最大の行革」の青写真を描いたのが瀬島でした。
山崎豊子の小説『不毛地帯』の主人公・壱岐正のモデルとしても広く知られています。瀬島の生涯には「ソ連の二重スパイ説」など数々の疑惑がつきまといましたが、公の場では常に理路整然とした語り口と謙虚な態度を崩さず、2007年に95歳で死去しました。「作戦参謀型の知性」が国家政策を動かした極めて稀有な例です。