ダイアナ妃事故の真相と愛憎の全貌|王室との確執と遺された王子たち
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1981年7月29日、セント・ポール大聖堂で執り行われた世紀のロイヤルウェディングは、世界7億5000万人もの人々がテレビ中継を見守り、まるでおとぎ話の再現のように称賛されました。しかし、その華麗なヴェールの裏側では、出会いの瞬間から破局へのカウントダウンが始まっていました。チャールズ皇太子との離婚理由の根底にあったのは、単なる性格の不一致にとどまらない、他者が介在し続けた異様な結婚生活です。
最大の要因は、言うまでもなくカミラ王妃不倫の経緯にあります。チャールズ皇太子とカミラ・パーカー・ボウルズ(現カミラ王妃)は1970年代初頭に出会い、互いに強く惹かれ合いながらも、当時の王室が求める「処女性」や家柄の条件を満たさないとして結婚に至りませんでした。しかし、双方が別の人と婚姻関係を結んだ後も、二人の密会と精神的な結びつきは途切れることがありませんでした。ハネムーンの最中にチャールズの私物からカミラの写真やイニシャル入りのカフスボタンを発見したダイアナ元妃は、激しいショックを受け、新婚当初から深刻な摂食障害と重度の抑うつ状態に追い込まれていきました。
さらに、ダイアナ元妃自身の生い立ちであるスペンサー伯爵家と家系図を辿ると、彼女が抱えていた根源的な孤独の輪郭が浮かび上がります。スペンサー家は英国貴族の中でも屈指の名門であり、歴代国王の血統をも受け継ぐ家柄です。しかし、ダイアナがわずか6歳のときに母が別の男性と出奔し、両親の泥沼の離婚裁判を経験。冷たい大邸宅で愛情に飢えて育った彼女は、「愛する人と温かい家庭を築くこと」に極度の憧れと執着を抱いていました。愛を渇望する傷ついた少女と、感情を表に出さず伝統と義務を最優先するよう育てられた未来の国王。この決定的な情緒的ミスマッチが、二人の溝を修復不能なものにしていったのです。
心身ともに追い詰められたダイアナ元妃もまた、心の空白を埋めるように元騎兵連隊将校のジェームズ・ヒューイットら複数の男性と関係を持つに至ります。互いに愛人をつくり、暴露本合戦を繰り広げた夫妻の関係はもはや修復の余地がなく、1992年の別居発表、そしてエリザベス女王の勧告を経て、1996年8月に正式な離婚が成立しました。