家康のしかみ像は嘘だった?三方ヶ原自戒伝説の真相と新説を徹底解説
家康のしかみ像は嘘だった?三方ヶ原自戒伝説の真相と新説を徹底解説の具体的な内容に迫る! わかりやすい言葉で紐解きます。
これまで広く信じられてきた通説の背景には、元亀3年(1572年)に勃発した武田信玄との激突、三方ヶ原の戦いがあります。遠江国へ侵攻した圧倒的な武田軍に対し、居城の浜松城を素通りされた若き家康は、血気にはやって城を出撃したものの、信玄の巧妙な戦術の前に完膚なきまでの敗戦を喫しました。
命からがら浜松城へ逃げ帰った家康は、恐怖のあまり脱糞したとまで伝えられています。通説では、城に戻った家康がすぐさま絵師を呼びつけ、「今の自分の無様な顔をそのまま描き残せ」と命じたとされてきました。己の慢心と未熟さを終生忘れないための自戒の念として描かせ、生涯座右から離さなかった――この物語は、天下人へと登りつめる家康の人間味と不屈の精神を象徴するエピソードとして、広く人口に膾炙したのです。
ビジネスの教訓やリーダーシップ論としても頻繁に引用されてきたこの経緯ですが、歴史ドキュメントとして史料を遡ると、極めて不自然な点や矛盾が次々と浮かび上がってきます。