富本銭はなぜ日本最古なのか?和同開珎との違いと歴史の真相

富本銭はなぜ日本最古なのか?和同開珎との違いと歴史の真相について詳しく解説いたします。専門家の見解をご覧ください。

富本銭を巡る学術的な最大の対立点が、「実際に市中で売り買いに使われたのか(流通貨幣説)」それとも「宮廷儀礼や埋納のためのまじない具だったのか(厭勝銭説)」という論点です。

厭勝銭(まじない)説の根拠

  • 中国唐代の厭勝銭に、富本銭と酷似した星文(七曜星)を持つものが存在すること。
  • 一般的な遺跡からの散発的な出土が少なく、飛鳥池遺跡という官人工房周辺や祭祀関連の遺構に集中していること。
  • 当時の日本列島において、米や布といった物品貨幣から銅銭への交換経済が庶民レベルで浸透していたとは考えにくいこと。

実用流通貨幣説の決定打

一方で、近年の奈良文化財研究所による金属成分の非破壊X線分析や鋳造遺構の精査により、流通説を支持する証拠が強固になっています。

第一に、飛鳥池遺跡で確認された富本銭の合金比率は「銅約80%:アンチモン約10%:鉛・スズ微量」という極めて厳密な規格化がなされていました。アンチモンを含有させることで溶湯の流動性を高め、文字の彫りを鮮明にする高度な冶金技術が使われており、これは儀礼用の一時的な鋳造ではなく、継続的な大量生産を前提とした国家プロジェクトであることを証明しています。

第二に、平城京跡や難波宮跡、藤原宮跡など複数の拠点都市から摩耗した富本銭が出土している事実です。実際に人々の手から手へと渡り、擦り減った痕跡が確認されたことで、少なくとも都や官人の間、国家プロジェクトの労役対価としての限定的な実用流通が行われていたことが定説化しています。

池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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