明治天皇と南朝の真実|すり替え説の虚構と南北朝正統論の真相

今注目を集めている 明治天皇と南朝の真実|すり替え説の虚構と南北朝正統論の真相について、多角的な視点を分かりやすく掲載しています。

俗に語られる「明治天皇南朝すり替え説」の筋書きは、概ね次のようなものです。幕末期、尊王攘夷運動の過激化とともに倒幕を目論む長州藩(西郷隆盛や伊藤博文ら)が、公武合体派であった孝明天皇と明治維新の正統後継者である睦仁親王をひそかに暗殺。その代わりに、長州・田布施の地で保護していた南朝の後醍醐天皇の末裔とされる少年・大室寅之祐を仕立て上げ、皇位に就かせたという主張です。

この言説を学術的に検証すると、決定的な破綻が次々と露呈します。そもそもこの説の原点は、昭和40年代から50年代にかけて出版活動を展開した鹿島昇や太田龍といった在野のオカルト論者、あるいは作家の落合莞爾らが唱えた私説に過ぎません。幕末・明治初期の公的記録はおろか、明治から昭和戦前にかけての反体制派の文献にすら、大室寅之祐の即位を裏付ける確証は一切存在しません。

最大の矛盾は、当時の京都御所の警備体制と人間関係にあります。孝明天皇の崩御(慶応2年12月25日)から明治天皇の践祚(慶応3年1月9日)に至る期間、宮中には母方の実家である中山忠能をはじめ、親王の誕生時から育児に携わってきた女官や侍従が昼夜を分かたず近侍していました。中山忠能の日記である『中山忠能日記』には、悲痛に暮れる睦仁親王の容態や日々の詳細な言動が克明に記されており、他人が入り込む隙など物理的に存在し得ませんでした。

顔見知りの公家や女官数十名全員を懐柔、または脅迫して別人を親王として受け入れさせることなど不可能です。さらに、睦仁親王は幼少期にかかった天然痘の痕が顔に残っており、筆跡や奇癖、体格の連続性についても、明治維新以前から近侍していた側近たちの記録と即位後の姿が完全に一致しています。これら動かぬ一次史料の前に、明治天皇すり替え説の嘘は明白な事実として立証されています。

井上 凛

井上 凛

シニアコンテンツプロデューサー

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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