最後の浮世絵師・月岡芳年の狂気と真相|血みどろ絵から月百姿の到達点まで

最後の浮世絵師・月岡芳年の狂気と真相|血みどろ絵から月百姿の到達点までにまつわる興味深い視点を分かりやすく発信ます。

芳年の画業を語る上で欠かせないのが、初期から晩年に至る作風の劇的な進化です。その歩みは、動乱の凄惨さをありのままに定着させた「血の時代」から、人の心の深淵と幽玄の美をすくい上げる「月の時代」への昇華の歴史でした。

鮮血の衝撃作『英名二十八衆句』と現場スケッチのリアリズム

慶応2(1866)年から慶応3(1867)年にかけて、兄弟子である落合芳幾と競作した全28図の連作が『英名二十八衆句(えいめいにじゅうはっしゅうく)』です。歌舞伎の残酷な殺陣や講談の血生臭い復讐劇をテーマにしたこのシリーズで、芳年は14図を担当しました。切断された四肢、飛び散る動脈の血飛沫、苦悶に歪む肉体の生々しさは、当時の江戸庶民に激震を与え、芳年に「血みどろ絵」「無残絵」の旗手という強烈なレッテルを決定づけました。

しかし、これは単なる悪趣味なサディズムではありませんでした。慶応4(1868)年に勃発した戊辰戦争・上野の山(彰義隊の戦い)において、芳年は弟子の年恒らを伴い、硝煙が立ち込める戦場へ実際に足を運んでいます。散乱する兵士の遺体、腐敗しかけた肉体の色、死角に転がる首級を、芳年はスケッチブックに無言で写生し続けたと伝えられています。写真機がまだ一般化していなかった時代、芳年にとって無残絵とは「極限状態における人間の肉体」を紙上に記録する、命がけのルポルタージュだったのです。

怪異と深層心理の融合『新形三十六怪撰』

明治22(1889)年から最晩年の明治25(1892)年にかけて刊行された『新形三十六怪撰(しんけいさんじゅうろっかいせん)』は、日本の古典怪談や伝説を題材にした全36図の傑作です。ここで描かれる妖怪や怨霊は、単におどろおどろしいバケモノとして描かれていません。「平清盛の熱病による怪異」や「牡丹燈籠」などに見られるように、芳年は人間の恐怖心、罪悪感、狂気といった内面的な心理の揺らぎが作り出す幻影として怪異を描き出しました。線描は研ぎ澄まされ、陰影や色彩の諧調によって、見る者の深層心理に忍び寄るゾッとするようなサスペンスを演出しています。

静寂の到達点にして浮世絵の白眉『月百姿』

そして芳年の集大成にして世界的な評価を決定づけたのが、明治18(1885)年から明治24(1891)年まで、足かけ7年の歳月をかけて完成させた大作『月百姿(つきのひゃくし)』(全100図)です。日本と中国の神話、歴史、文学、演劇に登場する人物たちを、必ず画面のどこかに浮かぶ「月」とともに描くという壮大なコンセプトでした。

かつて鮮血に塗れていた画面からは残虐性が完全に削ぎ落とされ、代わりに満ち溢れたのは張り詰めた静寂とリリシズムでした。敵陣を前に静かに月を見上げる武将、逢瀬を待つ姫君、月夜の辻立ちに佇む盲目の僧侶。あらゆる人生の哀歓やドラマが、月の光に照らされて美しく結晶化しています。彫師や摺師の超絶技巧(当てなしぼかし、布目摺り、エンボス加工のような空摺り)を極限まで引き出した『月百姿』は、予約販売の段階で版元に行列ができるほどの空前の大ヒットを記録しました。

中島 亮太

中島 亮太

写真家・フォトエディター

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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